本来不変であるべき電車の長さが、収縮したり拡張したりするというのは、あくまでも『電車の通過時間(Bの運動時間)と電車の長さ(Bの運動距離)が比例する』という仮定によるものであって、現実には30mの電車が22,5mに縮んでしまったり45mに伸びてしまう、などということは起こり得ない。
しかし、光はたとえ観測者の方が運動を行った場合でも、その波長は-vに比例し+vに逆比例して実際に変化しているのであるから、そこには上記の仮定が現実に起きていることになり、光についてはその仮定はもはや仮定ではなく、光速度がいかにして不変であるのかを具体的に説明する際の、重要な仮説であると言うべきである。
たとえば、遥か遠くのある星から橙色の光が1秒間照射されたのを地球のAが観測したとする。一方、その星に向かって秒速10万kmで運動するロケットのBは、その光をドップラー効果によって青色であるものと観測し、その光が観測された時間は0,75 秒であると測定する。
※{本論における光速度Cは、第19章【陽子半径の導出】を除き、全て秒速30万㎞であるものとする。}
この場合にABの両者は、光の速度がいかなる場合も秒速30万kmの光速度Cであることを経験的に知っていたとすると、それら一連の光全体の長さは、Aの計算によれば光速度C×Aの観測時間(1秒)で全長30万kmであるし、Bの計算によれば光速度C×Bの観測時間(0,75秒)で全長22,5万kmであるということになる。
しかし、秒速10万kmで星に向かって運動しているロケットのBは、本来であれば、星から照射された光との相対速度は、当然行われるべき通常の速度合成によりC+vの秒速40万kmになるものと考えて、その一連の光全体の長さは秒速40万km×0,75秒の30万kmであると算定するはずである。ならばそこで、それらの光の速度は、系の異なるABの二者において、いかなる具体的理由によって同一の光速度Cになり得るのであろうか。
可視光線である光や不可視な電波などを実際に観測しようとする際には、いずれにしても観測者はその肉眼なりなんらかの受信機器なりを用いて、それを直接受けとめて観測しなくてはならない。つまり、観測者の面前を通過する光はいかなる手段を用いてもこれを観測することは不可能なのであって、前出の電車とは異なり、目の前を通過していく光そのものを観測することは一切不可能である。
すなわち、電車の場合にその通過時間を測定しようとする際には、観測者はよりミクロからの視点を用いて、観測者自らが電車の先端から後端に至るまでの時間を測定すればよいのであるが、光の場合はそれを横から捉えて(横からみて)、その波動の先端部分や後端部分を観測することはあらゆる意味で不可能である。
ちなみに、レーザー光線やスポットライトのように、一方向に集束された一筋の光を観察するとき、これは実際には、その光線が空気中の塵埃や水蒸気などに反射したときの光を観測しているのであって、観測者の面前を通過したであろう一筋の光そのものを、横から捉えて観測することは永久に不可能である。
また我々は、水面を広がっていく一連の波を観測するとき、ボートなどでその波と共に並走しながら観察してみると、その波の一つ一つは一定の間隔を保ち、不動のまま固定された波形を現わしているのを観測することができる。これは水という媒質がそこに存在するために、その媒質である水の表面(水面)に反射した光を肉眼が直接受けとめることによって、目の前に静止している一つ一つの波の山の姿を観測することができるのである。
一方音波の場合は、肉眼でその媒質である空気を観測することはできない。しかし音波は、膨大な数の空気の分子による粗密波であって、いずれにしてもそこには空気の分子という物質が存在し、その無数の分子の周期的な運動が一つ一つの進行する波動を作り出しているのである。
ところが、いかなる物質的媒質の存在しない光の場合、その一つ一つの波動はいわばなにも存在しない真空そのものを伝播しているのであるから、そこにはなんらかの振動現象が起きている空間だけが存在する。
そうすると光の波長とは、その1回の振動が起きた空間の進行方向の長さのことなのであるから、たとえばその1回の振動に要する時間(振動数νの逆数である周期Tに等しい)がより短いという場合には、そのより短い時間の振動があった空間の長さもそのまま正比例してより短いということになり、ひいては1振動あたりの所要時間とその振動のあった空間の長さはこれを切り離すことができず、この場合の時間と空間は正比例して変化する同一のものと考えることができる。
すなわち、前出の一連の光全体の長さと、その光が観測されたときの時間の長さについても、これらは正比例して変化する同一のものと考えられ、地球のAが観測した光の観測時間1秒が、ロケットのBによればその3/4倍の0,75秒に短縮しているのであるから、この時間の短縮に比例してそれら一連の光の長さも3/4倍で短縮しているとすれば、Aにおける光全体の長さ30万kmは、Bによると22,5万kmに短縮していることになる。
そうすると、相対的には地球のAは30万kmの距離を1秒間で左方向へ運動したことになり、またロケットのBは22,5万kmの距離を0,75秒間で左方向へ運動したことになるが、このよりミクロからの視点によるABそれぞれの自らの運動を、よりマクロからの視点に切り替えて、その一連の光の右方向への運動(伝播)を考えるならば、この場合の質点化※された光の速度は、地球のAによれば30万kmの距離を1秒間で右方向へ運動したときの光速度Cであるし、ロケットのBによれば22,5万kmの距離を0.75秒間で右方向へ運動したときの光速度Cであるということになる。
※{第4章を参照}
したがって、系の異なるABの二者において、それぞれに観測される光の速度がいかにして同一の光速度Cになり得るのかと言えば、それは上記における時間(一連の光の観測時間)と空間(一連の光の長さ)が正比例して変化する、本来同一のものだからであるといえる。
そこで、下図のように大地に設置された発振器からは、振動数が1億サイクルの電磁波が継続して放射されているものとすると、大地にたたずむAは1億サイクルの電磁波を観測することになるが、発振源(光源)に向かって秒速10万km(あくまで思考実験上の仮定である)の速度vで運動している貨物車のBは、ドップラー効果により(C+v)/C=4/3の割合で増大した1,333・・・億サイクルの振動数を観測することになる。
※{1億サイクル程度の電磁波は不可視ではあるが、ここでは可視されるものと仮定する。}
電磁波の速度は、やはり不変な光速度Cであるから、振動数が1億サイクルである場合のその波長は3mである。すると波長3mの電磁波が大地にたたずむAの位置する座標点aを通過するとき、その際に要した時間Taは1億分の1秒(10-8)ということになる。
電磁波がa点を通過したときの、この微小な時間Taとは振動の周期と同一であり、すなわち電磁波が1回の振動を起こしたときに要する時間である。そして、電磁波がその1回の振動で大地を進行するときの距離がその波長なのであるから、Aが観測する波長λaは、
C(30万km/s)×Ta(10-8秒)=λa(3m)
と表わされる。
一方、貨物車のBが観測する振動数は1,33・・・億サイクルであるから、その1振動あたりの所要時間ないしは通過時間Tbは、1,33・・・億分の1秒(0,75×10-8秒)となる。
するとその波長λbは、
C(30万km/s)×Tb(0,75×10-8秒)=λb(2,25m)
と表わされ、λaとλb及び TaとTbの比は3/4となる。
したがって、貨物車のBが観測した電磁波の波長λbとその通過時間Tbは、大地のAが観測した電磁波の波長λaと通過時間Taよりも、共に3/4倍で短縮していることになり、この場合のAB両者における電磁波の速度は、同一の光速度Cとなる。
C(30万km/s)=λa(3m)/Ta(10-8秒)
=λb(2,25m)/Tb(0,75×10-8秒)
次に、貨物車のBが発振源から秒速10万kmで遠ざかる運動を行った場合であるが、電磁波は発振源から三次元のあらゆる方向に放射されているのであるから、これはBの貨物車が発振源を通りすぎて、さらに左方向へ速度vで運動した場合を考えればよい。
この場合、Bが観測する振動数はAの観測する振動数よりも(C-v)/C=2/3の割合で減少していることになり、すなわち1億サイクルの2/3倍で0,66・・・億サイクルということなる。そうすると、その振動数の減少に逆比例して波長は逆に3/2倍の4,5mに拡張していることになり、その1振動あたりの周期、ないしは4,5mの波長が通過するときの時間Tb´は0,66・・・億分の1秒(1,5×10-8秒)となる。
したがって、この電磁波の波長λb´は、
C(30万km/s)×Tb´(1,5×10-8秒)=λb´(4,5m)
と表すことができ、またλaとλb´ 及び TaとTb´の比は3/2であるから、貨物車のBが観測した電磁波の波長λb´とその通過時間Tb´は、大地のAが観測した電磁波の波長λaと通過時間Taよりも、共に3/2倍で拡張していることになり、この場合のAB両者における電磁波の速度は、同一の光速度Cとなる。
これらのことから系の異なる大地のAと貨物車のBの二者において、その観測される電磁波の速度がいかにして同一の光速度Cになり得るのかと言えば、それは上記における時間(1回の振動が起きたときの時間の長さ)と空間(1回の振動が起きたときの空間の長さ)が、常に正比例して変化する同一のものだからであるということができる。
ところで、上記の設定においてAの大地を不動の基準として考えたとき、その固定された大地座標系における発振源(光源)の速度は当然ゼロであり、もとよりこの発振源は大地に固定されている。ということは、この発振源から三次元のあらゆる方向へ放射される1億サイクルの電磁波の、大地座標系におけるその波長λaは不変に一律の3mであり、その波紋は下図のように同心円状に拡がる等間隔の形状であるということになる。
一方、Bの貨物車を不動の基準として考えたとき、その固定された貨物車座標系においては、大地の発振源(光源)は相対的に秒速10万kmで右方向へ運動していることになる。すると、発振源が秒速10万kmで、左から右へと動きながら放射された電磁波の三次元上に拡がるの波紋の形状は、下図のように発振源の右側では詰まるように短縮し、左側では伸びるように長くなっていることになり、すなわち発振源の前方に放射された電磁波の波長は2,25mに収縮しており、発振源の後方に放射された電磁波の波長は4,5mに拡張しているのである。
しかし、上図のようにその波長が発振源(光源)の前方と後方で異なるといった、その波動の波長が変化する場合のドップラー現象は、本来はなんらかの波源がその媒質中を運動しているときに現れるのであって、たとえば、下図のように音源が大地に固定され、すなわち大気(空気)という媒質の中に固定されているという場合には、貨物車のBがどのような運動を行うとも、そこには上記のような波長の変化に関わるドップラー効果は現れない。
この場合には、Bが音源に向かって運動するとき、Bの観測する音波の速度はμ+vとなりその振動数は+vに比例して増大するが、音源を通り越して遠ざかるときには、音波の速度はμ-vとなり、振動数は-vに比例して減少するといった、すなわち観測者の運動状況によって、その音波の振動数だけが変化するといったドップラー効果が現れる。
音波のドップラー効果による波長の変化は、左下図のように、必ず音源がその媒質中を運動したときにのみ現れるのであって、右下図(ないしは上図)のように音源が媒質上に静止しているという場合には一切現れない。
ところが電磁波の場合は、静止している発振源に対して観測者の方が運動を行ったときでも、その振動数と共に波長(波紋)も変化するといったドップラー効果が現れる。ならばそこで、電磁波の場合は、観測者が運動を行ったときにも、いかにして波長の変化が起こり得るのであろうか。
いかなる基準の存在しない宇宙空間において、AB二つのロケットがすれちがうとき、そのどちらが運動しているのか否かは、あくまでも相対的な問題であって絶対的に決定することはできない。しかし、このAB二者の相対運動に対して、たとえば太陽系といったより広大な規模の第三の座標系を用いるならば、AB二者の運動は、そのどちらが静止しどちらが運動しているのか、あるいはそのどちらもがそれぞれどのように運動しているのか、などを明確に記述することができる。ということは、この場合の太陽座標系は、AB二者の運動を非相対的に決定する、いわば臨時的な絶対座標系であるということができる。
そうすると音波の場合には、広域に広がる大気そのものが第三の絶対座標系としての役割を担っているということになり、この大気座標系においては、音源の運動も観測者の運動も非相対的に記述することが可能なのであって、音源が運動しているのか否か、観測者が運動しているのか否か、又そのどちらもがどの方向へどのように運動しているのかなどを、定量的かつ絶対的に決定することが可能なのである。
一方、光の場合には、そのような絶対座標系としての媒質(エーテル)は存在しない。したがって、その光源が運動しているのか否かは、どこまでもそれを観測する観測者と光源の二者だけの相対的関係においてのみ記述されるものでなければならない。ゆえに光源と観測者の二者に相対的な運動がある場合には、観測者の座標系からみたときの光源は必ず運動系なのであって、この座標系において現れる光(電磁波)の波紋は、その前方で詰まるように凝縮し後方で伸びるように長くなるが、相対的運動がない場合(すなわち互いに静止している場合)は、等間隔で同心円状に拡がる形状を現わすのである。
したがって、いかなる電磁波、光の場合は、観測者がいかなる運動を行ったときにも光源と観測者の二者に相対的な運動がある場合には、その波長(波紋)とその一振動あたりの時間(T)が、同時に比例して変化するといったドップラー効果が常に現れ、ゆえにその位相速度も常に不変な光速度Cを現わすのである。