大気の中を伝わる音波とは疎密波であり、空気という媒質が膨張したり圧縮されたりして、その位相が伝播されるところの波動である。この音波が媒質中を進行するときの速度は、媒質である大気の温度と気圧によって決定されるのであるが、音波に限らずいかなる波動の速度は波長(λ)と振動数(ν)の積で与えられる。
一方、光(電磁波)はと言えば、これは今日では真空そのものを伝播するものと考えられ、かつての静止エーテルといった絶対座標系としての媒質は実質的に否定されている。そうすると、なにも存在しないところの真空そのものを伝播する光と、大気という具体的な実体としての媒質上を伝播する音波の二者は、その観測される伝播の様子が根本的な事柄について異なるはずである。
まず第一には、音波の場合には通常の速度合成がなされるが、光は光源と観測者のいかなる相対運動においてもその速度は不変に光速度Cであるという違いがある。
たとえば、媒質である大気が無風状態であってこれは大地上に安定して静止してあるものとし、また音源も大地に固定されているものとして観測者が速度vで音源に向かって運動を行ったとき、媒質上を伝播する音波の位相速度をμとすると、その相対速度は μ+vとなる。
この場合に、観測者の電車を固定された座標系として考えたとき、その静止した電車座標系における音波の速度は当然 μ+vとなり、このときの波長は依然として不変であるが、観測者が受けとる単位時間あたりの振動数は+vに比例して増大する。
しかし、逆に観測者が大地に静止していて音源の方が+vで近づく運動をする場合は、ドップラー効果によってその振動数は+vに比例して増大するが、波長は+vに逆比例して短縮する。したがって、振動数が+vで増えた分だけ波長は短くなるのであるから、その音波と観測者の相対速度λ×νは不変にμのままであり、もとより音波が媒質中を伝播するときの位相速度はいかなる波長によらず一定である
そこで、図1の観測者の方が音源に向かって運動する場合に、媒質上の波長は常に不変であるが振動数は+vに比例して増大し、その結果音波の速度はλν=μ+vとなる。しかし、真空を伝播する光の場合は、光源と観測者のいかなる相対的運動にもかかわらず光速度は不変であって、たとえ観測者が光源に向かって加速度運動した場合でも、その観測者の系内における光の速度はC+vとはならず不変な光速度Cのままなのである。
そうすると、観測者の方が光源に近づくなんらかのアクションを行ったときにも、その光の速度は不変なCであるということは、その際の波長と振動数はその速度が不変なCになるような形に変化しているということになる。つまり、観測者が光源に近づくアクションを行う以前と行った後の光の速度が同一のCなのであるから、C=λνにおけるアクション前のλνとアクション後のλνではその内容が異なっているはずである。
すなわち、観測者の方が光源に向かって運動する場合においても、光の振動数は音波の場合と同様に+vに比例して増大する。そして、音波の場合は観測者がどのような運動を行っても媒質上での波長は常に同一であるから、その速度は
[不変な波長λ]×[増大した振動数ν]=μ+v
となる。しかし、光の場合は振動数が増大したにもかかわらず光速度Cは不変であるから、
[波長?]×[増大した振動数ν]=[不変な光速度C]
∴[不変な光速度C]/[増大した振動数ν]=[短縮した波長λ]
となり、すなわち音波の場合とは異なり、光の波長は+vの大きさに逆比例して収縮していることになる。したがって、+vで振動数は増大するものの、波長はその分だけ短くなるのであるから、λνの光速度は結果として不変にCの値を示しているのである。
そうすると、音波の場合も光の場合も、振動数は+vに比例して増大する。しかし音波の場合、その波長に関しては依然として不変なのであるから、その速度はμ+vで増大する。他方、光は波長が+vに逆比例して収縮し、結果的に収縮した波長と増大した振動数の積である光速度は不変にCのままなのである。
ところで、観測者が音源に近づく運動を行えば、その音波の速度はμ+vに増大するというのは、音波に限らずいかなる物体の運動についても、当然になされる速度合成である。
たとえば、大地を右方向へμなる速度で走行する電車に対して、観測者がvなる速度で左方向へ運動を行えば、両者の速度は加算されその相対速度は必ずμ+vとなって増大する。そして、このごく当然な速度合成に際しては、その電車の長さが縮むなどということは、決してあり得ない。
また、逆に向かってくる音波や電車に対して、観測者が右方向へ速度vで逃げるように運動を行った場合にも、相対速度は減算されてμ-vで減少するが、波長や電車の長さは当然不変なままである。しかし、光の場合はこの当然の速度合成がなされず、光速度は不変なままで波長は-vの速度の減少分に逆比例して長くなるのである。
そこで次に、通常の速度合成がなされる電車は、その長さが変化するなどということは、現実には決してあり得ない。しかし電車も光と同じように、その長さが観測者の行う+vや-vなどの運動に応じて変化するものと仮定した場合、その電車の速度ははたして光の場合と同様に不変な値になり得るのか否かを考えてみる。
前述4章のように、全長30mの電車が観測者の面前を通過したとき、電車の速度が秒速20mであるならば、その際の通過に要した時間は1,5秒である。そして、電車がその2倍の秒速40mで運動した場合は、通過時間は0,75秒に短縮し、速度が秒速50mであれば0,6秒に、秒速60mであれば0,5秒に、といった具合に速度がより大きければ大きいほど、電車はより短い時間で観測者の面前を通り過ぎて行くことになる。
すなわち、30mの電車が通過したときの時間が1,5秒から0,75秒に短縮したということは、その電車の速度が秒速20mから秒速40mに増大したということに他ならず、電車の通過に際しての所要時間とその速度の二者は反比例する関係にある。
通過時間と速度は、そのどちらかが変化すれば他方もそれに反比例して変化する関係にある。しかし電車の30mに関しては、これは不変値であって、たとえば電車の速度が2倍に増大したとき、その長さが30mから15mの半分に収縮するなどということはあり得ない。
ちなみに、ごく日常的な場面において、目の前を電車がゆっくりと時間をかけて通過した場合、その電車の長さは、通過に要した時間の長さに比例してより長いものであるかのように思えるが、電車がアッという間に通過した場合は、その長さは進行方向に凝縮されて縮んでしまったかのように思える。しかし、これはあくまでも視覚上の錯覚であり、現実にこのようなことは起こらない。
そこで下図のように、30mの電車が秒速20mで通過するときの時間は1,5秒であるが、速度が2倍の秒速40mであればその通過時間は1/2倍の0,75秒となる。
※{先述4章によれば、長さを有する物体が速度を持つものであってはならず、本来はよりミクロからの視点の観測者の方が右方向へベクトルを持つものでなければならない。したがって上図の速度ベクトルは、あくまでも電車と観測者の相対速度を表わすものとする。}
一方、その長さが実際に15mの電車があって、これが秒速20mで通過するときには、その通過時間は30mの電車が秒速40mであるときの通過時間と同一の0,75秒である。
この場合に、30mの電車が0,75秒で通過するのと、15mの電車が0,75秒で通過するのとではその速度が異なるのであるから、はたして観測者はその違いに気付くことができるであろうか。結論から述べると、観測者がその速度の違いに気付くことは、いかなる場合もあり得ないのである。
なぜなら、この観測者が具体的に電車の速度を測ろうとするには、観測者が固定されているプラットホームなり大地なりの2点間を、電車の先端なり、あるいはその電車を構成するなんらかの部分的な一ポイントなりが変位しているときの時間を測定しなくてはならない。つまり、観測者はよりマクロからの視点において、その個々のポイント(質点)の運動時間を測定するのであるから、この場合に30mの長さを有する電車全体が通過していく姿を観測することはできない。
一方、電車の通過に要する時間を測定するというのは、具体的には(あるいは相対的には)電車の先端から後端までの30mの距離を観測者自らが運動系の質点となって左方向へ変位する際の、その所要時間を測定することに他ならず、この場合の観測の視点は取りも直さずよりミクロからの視点なのである。したがって、観測者自らが運動系である場合になされるこの測定においては、電車の速度は一切不明なのであって、観測者はその速度の違いに気付くことはできないのである。
また同様に、通過時間が1,5秒で速度が秒速20mであるときの電車と、通過時間が0,75秒で速度が秒速20mであるときの電車の長さは異なるのであるから、観測者はその長さの違いに気付くことができるであろうか。
この場合、観測者は通過時間が1,5秒であるときよりも0,75秒であるときのほうがその速度が2倍になっているものと推定し、その長さが半分になっていることには気付けないはずである。なぜなら、15mの電車が秒速20mで通過するのと、30mの電車が秒速40mで通過するのとではその時間は同一の0,75秒なのであるから、通過時間だけしか観測することができないこのよりミクロからの視点の観測者にとっては、両者の違いは一切区別することができない。
したがって、電車の通過時間が一方は1,5秒であり他方が0,75秒であるという場合に、0,75秒で通過した電車の長さが1,5秒で通過した電車の長さよりも半分に減少しているのか、あるいは0,75秒で通過した電車の速さが1,5秒で通過した電車の速さよりも2倍に増大しているのか、この観測者はその違いを一切区別することができないのである。
通過時間0,75秒=30m/秒速40m
=15m/秒速20m
そうすると、このよりミクロからの視点の観測者にとっては、たとえばアッという間に通過した電車はその速度が増大しているのか、あるいはその長さが収縮しているのかは一切不明なのである。そして、その違いが一切区別できないということは、むしろこの二者はその観測者にとって、本質的に同一であるということができる。
そこで次に、当初の図1の音波をそのまま電車に置き換えて、下図のような設定におけるAB二者の観測を考えてみる。
すなわち30mの電車は、Aの固定されている大地を右方向へ秒速30mで運動しているが、Bは屋根や壁面のない台車のみの貨物車両に固定されていて、大地を左方向へ秒速10mで運動しているものとすると、大地のAは電車が面前を通過した際の時間を1秒と観測するが、貨物車のBは0,75秒と観測する。
この場合、AB二者の観測者はよりミクロからの視点において、それぞれの電車の通過時間だけを観測したのであるから、電車の速度及びその長さについては一切観測することができない。しかし、電車の速度という測定値はその時々の様々な運動状態によって変化するが、電車の長さはその測定を行う以前から変わることのない不変の物理量である。
そこでABの観測者は、その電車の長さが30mであることを当初から知っているものとすると、電車の通過時間を1秒と観測した大地のAは、電車の30mの距離をA自らがよりミクロからの視点で、左方向へ運動したときの速度が秒速30mであると算出することができ、同様に通過時間を0,75秒と観測した貨物車のBは、同じく電車の30mの距離をB自らが運動したときの速度が秒速40mであると算出することができる。
30mという電車の長さはABそれぞれの速度と運動時間の積として表わされ、
電車の長さ[距離30m]=Aの速度[秒速30m]×Aの運動時間(通過時間)[1秒]
=Bの速度[秒速40m]×Bの運動時間(通過時間)[0,75秒]
であるから、これまで電車の通過時間と称してきた値は、ABそれぞれの左方向への運動時間に等しく、30mという電車固有の長さはABそれぞれの運動距離に等しいということができる。したがって、先に電車の速度と通過時間の二者は反比例する関係にあると述べたが、この場合の電車の通過時間とは、実を言えばよりミクロからの視点のABが、電車の先端から後端に向かってその30mの距離を変位したときの所要時間のことに他ならず、またその速度についても、これは電車の速度なのではなく、その質点A、質点Bの左方向への変位における速度なのである。
そうすると上式の関係においては、Bの速度がAの速度の4/3倍でより速いとき、Bの運動時間はAの運動時間の3/4倍でより短くなり、逆に、Aの速度がBの速度の3/4倍でより遅いとき、Aの運動時間はBの運動時間の4/3倍でより長いのであるから、この場合のAB二者におけるそれぞれの速度とそれぞれの運動時間は、互いに反比例する関係にあり、ABそれぞれの運動距離である電車の長さは、その時間と速度の反比例する関係おいて常に不変なのである。
そこでさらに、運動系としてのABの二者はそれぞれの速度で、電車の座標系を左方向へ運動したのであるから、これは相対的には、電車のほうがABそれぞれの座標系を右方向へ運動したということに他ならない。
ということは、AB二者の左方向への運動は、いずれも電車を静止した座標系として記述されるのであるから、逆に電車の速度を記述するには、ABの二者は視点をよりミクロからの視点からよりマクロからの視点に切り替えなくてはならず、この場合に電車座標系におけるABそれぞれの左方向の運動は、相対的にABそれぞれの座標系における、質点化された電車の右方向への運動に切り替わるのである。
そうすると、当初より電車の固有な長さが30mであることを知っていた大地のAと貨物車のBは、最初に電車の通過時間をそれぞれに測定したことにより、最終的にAは大地座標系における電車の速度が秒速30mであったことを知ることができ、Bは貨物車座標系における電車の速度が秒速40mであったことを知ることができる。
ならばそこで、Bが測定した通過時間(B自らの運動時間)0,75秒が、Aが測定した通過時間(A自らの運動時間)1秒よりも短縮しているという場合に、電車の長さもその通過時間の短縮にともなって同様に短縮し収縮すると仮定した場合、それらABの運動におけるそれぞれの速度はどのようになるのであろうか。
再度換言して述べると、当初大地のAは電車の通過時間を1秒と観測し、貨物車のBは0,75秒と観測したのであるが、これは厳密にはA自らが電車の先端から後端までの30mを変位したときの時間が1秒であり、またB自らが電車の先端から後端までの30mを変位したときの時間が0,75秒なのである。そこで、Bの運動時間はAの運動時間よりも3/4倍に短縮しているわけであるが、この時間の短縮に比例してBの観測する電車の長さも、単なる錯覚としてではなく実際に3/4倍の22,5mに短縮するものと仮定したときに、AB両者のそれぞれの速度ははたしてどのようになるのかである。
これは、Bの測定した運動時間がAの測定した運動時間の3/4倍であるとき、Bの運動距離である電車の長さもそのまま正比例して3/4倍になってしまうのであるから、この場合のAB二者におけるそれぞれの運動時間とそれぞれの運動距離である電車の長さは、互いに正比例する関係にあり、ABそれぞれの速度は、その運動時間と運動距離の正比例する関係において、常に同一であり不変なのである。
Aの速度《秒速30m》=運動距離(電車の長さ) 《30m》 /運動時間《1秒》
Bの速度《秒速30m》=運動距離(電車の長さ)《22,5m》/運動時間《0,75秒》
すなわち上記のように、Bの運動時間が0,75秒であればAの運動時間1秒との比は3/4であるから、同様にAの観測する30mの電車の長さはBの観測によればその3/4倍である22,5mに収縮する。
そしてさらに、たとえばBの運動時間が0,5秒であればAの運動時間1秒との比は1/2であるから、電車の長さは30mの1/2倍である15mに、またBの運動時間が0,25秒のときAの運動時間1秒との比は1/4であるから、電車の長さは7,5mにといったぐあいに、それらの運動時間と運動距離が常に正比例して短縮する関係にある場合は、その速度は常に不変にして同一の秒速30mなのである。
そうすると、これら運動系としてのAB二者の視点を、さらによりマクロからの視点の観測に切り替えた場合は、最終的にAの大地座標系における電車の速度も、またBの貨物車座標系における電車の速度も、同一の秒速30mとなる。
※{よりミクロからの視点において、Bの観測する電車が3/4倍に収縮しているのであれば、逆にこれをよりマクロからの視点に切り替えたときのBの貨物車は、相対的に4/3倍に拡張しているものでなければならない。このような長さ(ないしは空間)についての相対性は、ABの二者が観測する対象(電車)が、あくまでも同一のものである場合に現れるのであるが、その詳細については後に8章において述べられる。}
ところで、Bの運動時間0,75秒は、Aの運動時間1秒よりも3/4倍に短縮しているという場合に、そのBの運動時間における0,25秒の短縮は、もともとはBが行う大地を左方向へ向かうときの秒速10mの運動によるものなであるから、結果的にBが行った秒速10mの運動そのものが、電車の通過時間(Bの運動時間)を短縮し、同時に電車の30mの長さを22,5mに縮めているということになる。
したがって、その電車の長さは『Bの運動時間の短縮に比例して短縮(収縮)する』と同時に『Bの運動による速度の増大に反比例して短縮する』とも述べることができ、この場合のBの運動時間の短縮と、Bの速度の増大の二者は、本来同一であるということができる。
そうすると、前出において、アッという間に通過した電車の長さは進行方向へ凝縮したかのように縮んでみえると述べたが、そこで実際に、より速い電車はその速度に反比例し、かつまたその通過時間に比例して収縮するものと仮定して考えてみると、その電車の速度は結果的に不変な値を現すのである。
次に、下図のように貨物車のBが、大地の系を右方向へ秒速10mで運動した場合を考えてみる。
この場合、Aの設定条件はすべて同一であるが、Bの貨物車の系からみた電車の速度は秒速20mとなり、その通過時間(Bの運動時間)は1,5秒となる。
そうすると、大地のAは電車の30mを1秒で運動(通過)し、貨物車のBは同じく電車の30mを1,5秒で運動(通過)したのであるから、Bの運動時間はAの運動時間よりも3/2倍で増大していることになる。そこで先の仮定と同様に運動時間の増大に比例して電車の長さも拡張(増大)するとした場合、Bが1,5秒で運動した電車の長さは45mになっていることになる。
そして、この場合のAB二者の速度は、やはり同一の秒速30mなのであり、さらにこれらをよりマクロからの視点の観測に切り替えた場合は、最終的にAの大地座標系における電車の速度も、またBの貨物車座標系における電車の速度も、同一の秒速30mとなる。
また、この場合にBの『運動時間の増大に比例して運動距離も拡張する』ことと、Bの運動による『速度の減少に反比例して電車が拡張する』ことの二者は同一なのであるから、前出において、面前をよりゆっくりと通過した電車の長さはより長くなっているようにみえると述べたが、そこで実際に、より遅い電車はその速度に反比例し、かつまたその通過時間に比例して拡張するものと仮定して考えてみると、その電車の速度は結果的に不変な値を現すのである。