第17章【陽子の構成粒子】

 一個の電子は、これをよりミクロからの視点で捉えたものがそれぞれにhνのエネルギーを持つ複数の円運動光子であり、逆に複数の円運動光子をよりマクロからの視点で捉えたものが、質量

を有する一個の電子である。

 ならばそこで、静止状態にある一個の電子そのものをあらためて二つの視点で捉えてみるならば、よりミクロからの視点によってそれを複数の円運動光子として捉えた場合には、それら円運動を行う個々の光子の波長は無限にみるみると収縮し、そのエネルギーは無限に増大していることになるが、逆によりマクロからの視点によってその複数光子全体を一個の電子として捉えた場合には、その大きさと質量は一定な有限値となるが、代わってその電子の中心からは無限に拡がる拡張場が発せられるといった、相対的かつ対照的な二通りの描像が得られることになる。

  

 ところで、一般に正電荷としての陽子の持つ電場は三次元のあらゆる方向へ放射状に出ていく電気力線で表わされるものと約束され、対する負電荷としての電子の持つ電場は、陽子とは逆の放射状に入る電気力線で表わすものと約束される。 

 しかし本論においては、電子の電場とは円盤状に拡がっていく拡張場のことに他ならない。ということは、この場合の対する陽子の電場は、電子の拡張場とは真逆に展開する場のはずである。したがって、電子の電場が拡張場であるならば、陽子の電場はいずれにしてもなんらかの加速度的に収縮する場、すなわち収縮場であるものと推察することができる。


 そうすると、電子はよりマクロからの視点によれば無限に拡がっていく拡張場を有するが、よりミクロからの視点によればその大きさは無限にみるみると収縮しているものと考えられるのであるから、これらとは真逆に展開するはずの陽子は、よりマクロからの視点によれば収縮場を有するが、よりミクロからの視点によればその大きさは無限にみるみると拡張していることになる。

 ちなみに、よりミクロからの視点による電子であるが、これはなぜ、いかにして無限にみるみると収縮するのかと言えば、それはその電子を構成するところの円運動を行う個々の光子の波長が、それぞれ無限にみるみると収縮しているからである。ならば同様に、よりミクロからの視点による陽子が、なぜ無限にみるみると拡張(膨張)し得るのかと言えば、これは陽子を構成するなんらかの素材粒子が、ある極めて小さな空間(たとえば陽子半径およそ1015程度の空間)で円運動を行うと、その円軌道に沿った進行方向の長さが無限にみるみると拡張しているからである、と類推されてよいはずである。

 すなわち、よりミクロからの視点による電子の無限収縮の原因が、それを構成する円運動光子の波長の収縮にあるのであれば、よりミクロからの視点による陽子の無限拡張の原因は、それを構成するなんらかの円運動粒子の拡張にあるものと比定され得る。

 すると陽子を構成するその素材粒子は、これが円運動を行うと、その長さは進行方向の円軌道に沿ってみるみると拡張する、といった性質を有していることになり、さらにその粒子は、これが円運動を行った場合には加速度的に拡張するのであるから、並進運動を行っているときには、その速度の大きさに応じて一定の長さに拡張するといった性質を、当初から持っているものと推定することができる。そこで、これらを端的に整理して述べると次のようになる。

 

 まず、よりマクロからの視点による一定の大きさを持つ陽子は、電子の拡張場とは真逆に展開するところの収縮場を持つはずである。しかし、よりミクロからの視点によれば、そこにはいかなる収縮する場などというものは観測されず、逆に陽子の大きさはどこまでもみるみると拡張しているものでなくてはならない。ということは、陽子を形成するそのなんらかの素材粒子は、無限の拡張を引き起こすような形態の運動を行っていることになり、その運動形態とは明らかに円運動以外には考えられない。

 したがってその素材粒子は、これが円運動を行った場合にはみるみると加速度的に拡張し、また一定の速度で直進する場合には、その速度に応じて一定の長さに拡張するという性格を有しているはずである、と推察することができる。

※{素材粒子の円運動が、具体的にどのようにして陽子の無限拡張(無限膨張)へとなりうるのかについては、第19「陽子半径の導出」において述べられるものとする。}

 ならばそこで、この「一定速度で直進する場合には一定の長さに拡張する」という性格をもつ粒子と言えば、これに当てはまるのが電子であるから、結果的に、陽子は円運動を行う電子によって形成されているのではないのか、と推測することができる。すると、この推測においては、複数の円運動光子が一つの電子を形成し、その電子がさらなる円運動を行って一つの陽子を形成するのであるから、これら光子・電子・陽子の三つの粒子は、よりミクロからよりマクロへと段階的に成り立っているものと推論されるのである。

🔹陽子と反陽子が衝突し対消滅を起こすと、そこには複数個の荷電パイ中間子・中性パイ中間子などが現れる。ということは、ごく単純には「陽子・反陽子はいずれにせよそれぞれ複数のパイ中間子でできているはず・・・」と考えてもよいことになる。しかし、パイ中間子はミューニュートリノや光子(電磁波)を放出してミュー粒子に壊変し、ミュー粒子も電子ニュートリノなどを放出すると、最終的に安定粒子としての電子に壊変するのであるから、いずれにしても陽子の構成要素は基本的に電子であるものと考えられ、この対消滅に関しては、なんらかの励起した状態にある電子そのものがミュー粒子であり、さらには、よりより不安定な励起状態にあるミュー粒子そのものがパイ中間子なのではないのか、と考えられるのである。

 ちなみに、相対論的量子力学で名高いポール・ディラック教授は、電子の自己エネルギー発散問題に関連して、ミュー粒子が励起した電子であるものと仮定するならば、大きさを持った電子がある種の振動を行ったときの二番目に安定な状態がミュー粒子ではないのか・・・といったことをある著書で述べられている。ならば本論における電子は、明確に有限な大きさを持つのであるから、ディラック教授のミュー粒子に対する「大きさを持った電子励起説」は、上記の推論の一端を説明するものでもあるといえる。》 講談社 『物理学の魔法の鏡』

 

 

✧陽子の質量と静止エネルギー

 「陽子を構成するなんらかの素材粒子は、これが速度vの並進運動を行う場合には一定の長さに拡張するという性格を持つはずである。」ということから、陽子は円運動を行う電子によって形成されているものと推定される。ならば、実際に観測される陽子の質量は電子質量mの約1836倍なのであるから、この推論においてはごく単純に、一個の陽子は1836個ほどの円運動電子によって構成されているもの、と考えることはできないのであろうか。結論から述べると、これは質量とエネルギーの等価性において否定されることになる。

 たとえば、陽子を構成する円運動電子の数がたったの一個であったとしても、その電子が等速円運動を行うときの速度が光速度C(30km/s)の約0.999 999 85倍といった非常な高速度であるならば、その電子が持つ全エネルギーE(γ)は、静止エネルギーE1836倍になっていることになり、この場合の(=me×1836)なる質量を有するところの一個の陽子は、[×1836]の全エネルギーEを持つ一個の円運動電子によって形成されていることになる。

 すなわち、電子そのものはいかなる速度で運動しようとも、その右回転の角振動数ω㊨は1/γ倍で減少するが進行方向の長さ(横幅の長さ)γ倍で拡張するのであるから、結果的にその拡張した棒状電子の持つ内的エネルギー(ℏωγ)やこれと等価であるところの質量meは変化しない。しかし、回転拡張場のエネルギー(運動エネルギーK)を含めるその全エネルギーEについては、静止エネルギーEγ倍で増大し、これはE=Eγと表すことができる。

 そこで、陽子を構成する電子の数を一個であるものと仮定した場合には、その一個の円運動電子は、陽子が持っている静止エネルギー()のすべてを担いまかなうものでなくてはならず、つまり

    [一個の円運動電子が持つ全エネルギーE][一個の陽子が持つ静止エネルギー]

でなくてはならない。

※{陽子を構成する円運動電子の数量が一個であるというのは、陽子の質量と円運動電子の全エネルギーEの同一性を端的に説明しようとする際のあくまでも暫定的な仮定である。実際の数量については、結果的に2個であるものと断定される。詳しくは、陽子の内部構造も含めて第19章にて述べる。} 

 そうすると、陽子の静止エネルギーは電子の静止エネルギーE1836倍であり、

     E(8,2×1014)×1836(15055,2×1014)

なのであるが、この15055,2×1014Jという陽子の静止エネルギーは一個の円運動電子が持つ全エネルギーEに等しくE=なのであるから、E=Eγの式は同時に  

        =Eγ                   

とも書き表すことができ、結局この場合(陽子を構成する円運動電子の数が1個であると仮定した場合)γは、

         γ/E

               (15055,2×1014)(8,2×1014)

                    1836

であるということになる。

 したがって、たとえば陽子を構成する電子の数が2個であるならばγ1836/2918に、3個の場合は1836/3612となり、円運動電子の個数をnとすると

             [γ1836/]

が成り立つことになる。

 一方、γなる因子(いうまでもなく相対論におけるローレンツ因子とまったく同一)

             γ1/√[1β]

は、これを逆に解くと

             β√[ 1(/γ)] 

が得られ、この場合にγ1836なのであるから、陽子を構成する一個の電子が等速円運動を行うときの速度は、光速度Cの約0.999 999 85倍と算出することができる。

 したがって、陽子を構成する電子の数がたとえ一個であったとしても、その円運動の速度が光速度Cの約0.999 999 85倍であるならば、この場合の質量(/)を有する一個の陽子は、15055,2×1014(×1836)なる全エネルギーEを持つ一個の円運動電子によって形成されているということになる。  

 また陽子を構成する円運動電子の数が1836個である場合については、それら1836個の電子それぞれのγ係数は、1836/1836γ=0なのであるから、上式におけるγがゼロであれば、その円運動の速度vもゼロであり、そこにはいかなる運動を行わない電子がただ無意味に1836個集合している状態があるだけで、もはやいかなる円運動電子の姿も、またいかなる陽子の姿も、この場合には一切見いだすことはできないのである。

 そうすると、陽子を構成する電子の数が一個であるものと仮定した場合、陽子はこれをよりミクロからの視点で捉える場合にはそこに約15×10-11Jなる全エネルギーEを持つ一個の円運動電子としての姿が見いだされるが、よりマクロからの視点で捉える場合にはそこに約16726×10-31kgなる質量を有する一個の陽子としての姿が見いだされるのであるから、陽子の質量と、円運動電子の全エネルギーEの両物理量についても、これらはまた本来同一にして等価であるということができ、ひいては、その質量を有する陽子と全エネルギーEを有する円運動電子の二者は、本来同一の存在に対する二つの異なる視点の観測に他ならないということができる。