複数の円運動光子が一つの電子を形成し、その電子2個が対となってさらなる円運動を行い一つの陽子を形成するというのは、光子・電子・陽子の三つの粒子は、よりミクロからよりマクロへと段階的に成り立っていることを意味する。ということは、それら三つの粒子を記述しようとする際の座標系についても、やはりよりミクロからよりマクロへと段階的に成り立っているものと考えられる。
たとえば第11章で述べたように、第1座標系において複数の光子が円運動を行うとき、その円軌道は無限に収縮するが、続く第2座標系においてはそれら複数光子の全体である一電子は一定の大きさを持つと同時に、無限に拡がる拡張場を持つものとして見いだされる。
ならばそこで、第2座標系において2個の電子が対となって円運動を行うという場合には、その一対の電子は円環状の回転拡張場を纏ったリング状電子となって回転運動を行いながら無限に拡張するが、その全体である一つの陽子は、より高次な段階(よりマクロな段階)に想定される第三の座標系において、一定の大きさを持つと同時に、無限の彼方にまで作用する収縮場を持つということになる。
※{右下図のように、円環状の回転拡張場を纏った一対のリング状電子(無限膨張する陽子)を、略して
〔円環状対電子〕と記すものとする。}
第1座標系において円運動を行う光子は、1x軸1y軸が構成する2次元面の円軌道に沿って右回りに変位すると同時に、その円軌道の収縮にともなって中心点に向かっても変位していることになるが、1z軸方向についての変位は一切ない。ということは、このような1x1yの二次元面でのみ変位する複数光子を記述しようとする際の第1座標系は、平板状の平面的な座標系でよいということになり、一定不変な電子を記述する第2座標系においては、その平面的な第1座標系そのものが、みるみると拡がる拡張場(電子の電場)そのものに姿を変えて現れているということができる。
また第2座標系において、無限に拡張する円環状対電子(円環状拡張場を纏った一対のリング状電子)であるが、この場合の対となったリング状電子については、下図2z軸2y軸が構成する2次元面でのみ拡張するが、それを包み込むように展開している円環状拡張場は右図のように2x軸も含めた三次元上の拡張を為している。
ということは、第2座標系における円環状対電子は、三次元上にみるみると拡張し続けることになるが、続く第3座標系においては一定不変な大きさを持つ一個の陽子として現れていることになり、この場合にかつての第2座標系はその陽子の中心点を目指して、みるみると吸い込まれるかのように展開する収縮場に変貌しているということになる。
したがって、第3座標系における一定不変な大きさの一個の陽子とは、第2座標系におけるみるみると拡張するかつての円環状対電子のことに他ならず、また第3座標系における陽子の収縮場とは、かつての第2座標系そのもののことに他ならないということができ、もっとも基本的な光子の円運動は第1座標系において、拡張場を放つ電子は第2座標系において、また収縮場を持つ陽子は第3座標系において記述されることになる。
この場合に、光子の円運動を記述する第1座標系は第2座標系における電子の拡張場へと姿を変えて現れ、みるみると拡張する円環状対電子を記述する第2座標系は第3座標系における陽子の収縮場へと変貌して現れているのであるから、それら3種の粒子を記述する三つの座標系は、よりミクロからマクロへと埋め込まれ積み重なりながら、段階的に成り立っているものといえる。
そうすると、この段階性においては、第1座標系は電子の拡張場として第2座標系のなかに埋め込まれ、第2座標系は陽子の収縮場として第3座標系のなかに埋め込まれているのであるから、我々巨視的世界の観察者から観れば、第1座標系においてみるみると無限収縮する電子の姿や、第2座標系においてみるみると無限拡張する陽子の姿は、もはやいかなる方法を用いようとも、永久に観測されるべきものではなくなっているのである。
三次元上の放射状に出ていく正電荷、放射状に入る負電荷といったそれら電荷についての従来の約束事は、本論においてはすべて真逆なかたちに書きかえられなくてはならない。ならば、電子と陽子の相互作用(電磁相互作用)のあり方についても、これはその根本から書き直されなくてはならず、そこには従来のものとはまったく異なる新たな原子の描像が浮かび上がってくるはずである。
たとえば、水素原子内の電子であるが、これは右図のように陽子がもっている収縮場の働きにより、速度vで遠ざかろうとする運動する電子に常なる向心力が与えられているからこそ、その円軌道運動が実現しているものと考えられる。
一方、この場合の電子が持つ拡張場であるが、これは15章で述べたように、その速度vが大きいほど拡張場はより速く回転し、その半径rは速度vが大きいほどより小さくなるのであるから、この拡張場の作用がおよぶ範囲はその半径内に限られているものと考えねばならない。
ということは、この回転する拡張場は、その中心点から外に向かってみるみると拡がりながら回転しているのであるから、そこには外に拡がっていく力と回転の力が併存していることになり、いわば電場と磁場が重ね合わさってその半径内に閉じ込められている状態になっていることになる。
これらをあえて量子論的な解釈で言い換えるならば、そこには無数の光子がその半径内に閉じ込められているのと同様な状態になっているのであって、この場合に電子と陽子は、仮想光子としてのいかなるゲージ粒子を交換しているわけではないことになる。
また、ボーアの水素原子模型によると、電子の運動方程式は
mv2/r=k℮2/r2 ※{k=クーロン定数}
と表され、左辺が円運動を行う電子の遠心力を表すのに対して、右辺は+℮の電気量を持つ陽子が、これとまったく同じ電気量-℮を持つ電子に及ぼすときのクーロン力を表している。
しかし本論においては、円運動を行う電子にその向心力を与えているのが陽子の収縮場であり、かつこの場合の電子の回転拡張場が持つ力の作用はその半径内に限られている(閉じ込められている)のであるから、そこには陽子と電子の間に生ずる引力としてのクーロン力といった、いかなる相互作用の力は生じていないことになる。
ということは、[k℮2/r2]なるクーロン力は、それぞれに℮なる電荷を持った電子と陽子の相互作用によって生じたものではなく、単独の陽子がもともと持っている電場(収縮場)の強さを表していることになり、この場合の陽子が固有に持つ電荷量は、電子と同一の電荷素量℮(1,602 176 634×10-19C)ではなく、℮2であるということになる。
すなわち、本論においては一個の陽子は2個の円運動電子によって構成されるのであるから、その2個の円運動電子は円環状拡張場を纏った一対のリング状電子(円環状対電子)となって、℮なる二つの電荷が掛け合わされた状態になっているものと考えられるのである。
またさらに、従来の電磁気学によると、一個の水素原子は電気的に中性であり、+℮なる電荷を持つ一個の陽子の周囲を、-℮なる電荷を持つ一個の粒子状の電子が円運動するとき、その水素原子全体が持つ正味の電荷量は結果的にゼロになるものとされる。
しかし、このことは本論においては、陽子の収縮場が持つ力(クーロン力)の作用によって円運動を行い、やがて一つの輪につながった円環状回転拡張場を纏ったリング状電子※は、そのまま全体として右図のような回転運動を為しているのであるが、その際に一つの陽子には一つの電子しか対応しないということから、陽子の収縮場が持つその力はもはや他の電子に対してはなんらの作用も起こし得ず、その水素原子の外側においては実質ゼロの状態になっている、と言い換えることができる。
※{以後は、陽子の周囲に展開するこの円環状拡張場を纏ったリング状電子を、端的に〔トーラス電子〕と記すものとする。}
したがって「水素原子は電気的に中性でありその電荷はゼロである。」ということと、「陽子の収縮場が持つ力は水素原子の外側ではゼロの状態になっている。」ということの二者が意味するものは本質的に同一であるということができる。
※{現在第20章【段階的座標系と重力の起源】は、大幅な書き直しを遂行中です。
年内には改定終了予定につき、暫くお待ちください。}