第12章【回転体の運動学】

 ごく日常的な場面において、我々は走行する自動車のタイヤを観測することがある。そこで、回転するタイヤ全体を観測すると、その形状は当然正円形として観察される。ところが、タイヤの円周上部分になんらかの目印となるペンキが付いていたとすると、そのペンキのポイントはサイクロイドと呼ばれる一連のアーチ形の軌道を描くのが観測される。

 この場合、走行するタイヤの一つのポイントはサイクロイド軌道であり、円周上の想定されるいかなる個々のポイントの軌道もすべてサイクロイドのはずである。そうすると、それらすべてのポイントがサイクロイド軌道で運動しているはずであるから、そのタイヤ全体の形状もそれなりに変形して観測されるものと考えてもよいはずであろう。ところが、実際に走行する自動車のタイヤ全体の形を観測してみると、それは不変に正円形なのである。

 あるいは逆に、タイヤに限らずいかなる正円形の回転体における、その中心点以外のいかなる部位(ポイント)の運動はすべて等速円運動であり、すなわち正円軌道運動である。したがって、走行する自動車のタイヤ全体の観測において、その形があくまで正円形として観測されるのであれば、そのタイヤのいかなるポイントの運動も、やはりあくまで等速円運動でなくてはならないはずである。ところが一方で、実際に一つのペンキのポイントを目で追っていくと、それはやはりサイクロイド軌道運動なのである。

 

 サイクロイド軌道は正円軌道よりも長く、正円軌道の円周を2πとするとサイクロイドは

である。そうすると、ポイントのサイクロイド軌道はタイヤ全体を観測したときに、一瞬のうちに正円軌道に収縮してしまったことになる。

 これらは、決して単なる感覚的な錯覚というわけではなく、観測者は同一のタイヤについて観測しているはずでありながらも、その個々のポイントの観測とタイヤ全体の観測ではその観測の視点が異なるために、その軌道の長さも異なって観測されるのである。そして、これは観測の視点が異なるというだけの話ではなく、それぞれの視点の観測で得られたオブザーバブルに物理的なくいちがいが起こっているのである。

 そこで、このくいちがいの具体的な説明の前に、そもそも物体の回転運動とはいかなるものであるかを考えてみる。

 

 物体の回転運動の大きさは、通常角速度ωによって表される。しかし、角速度は力学上の概念的物理量であって、実際に角度(回転角θ)そのものが速度を有するわけではない。回転運動において、具体的に速度を有し運動するものとは、タイヤならタイヤを構成する無数の点粒子であって、それら個々の点粒子が等速円運動を行っているのである。

 すなわち、回転体における個々のポイントは等速円運動の2πtといった本来の速度vを有するが、固有な広がりを有する回転体全体の運動については角速度ωという物理量が対応する。したがって、物体の角速度ωなる回転運動というのは、ある広がりそのものの回転の大きさを表し、それを具体的に分解する場合には、個々の点粒子の等速円運動が対応するのである。ならばそこで、その回転体がさらに全体として直進運動を行った場合はどのように観測されるのか。

 ここで話をタイヤの場合にもどすと、地上の観測者がタイヤの個々のポイントについて観測する場合には、各ポイントの等速円運動は車の直進運動の速度が複合された形態になるわけで、この場合の円周上のポイントが描く軌道がサイクロイドである。

 一方、回転するタイヤ全体を観測しようとする場合には、直進運動の速度vを角速度ωにそのまま複合させることは不可能である。すなわち、タイヤという広がりの回転の大きさωと、自動車の直進運動の大きさである速度vを複合させることは、ある広がりについて与えられる物理量を、ある一点(質点)に与えられる物理量に合成しようとするのであるから、このような観測の視点が異なる二者の物理量は合成できるわけがないのである。

 ということは、当初より速度vで運動する自動車の、そのタイヤの回転を観測することは不可能なことであり、あえて地上の観測者が広がりを有するタイヤの回転を観測できたというのであれば、その自動車及びタイヤは、右方向に速度vを有するのではなく、逆に観測者の方が左方向へ速度vで運動している系なのである。

つまり、自動車は静止していて固定され、観測者の方が運動系であるからこそ、固定された自動車の座標系内で正円形の広がりを有するタイヤが観測され得る。したがって、タイヤの個々のポイントがサイクロイド軌道運動である場合と、タイヤ全体が正円形の広がりにおいて回転して観測される場合の両者の視点は、それぞれ異なっているのである。

  はたして、サイクロイド軌道が一瞬にして正円形に収縮してみえるというのは、その時点で視点の切り替えが起こっているわけで、観測者がよりマクロからの視点の座標系の立場にあるときにはポイントのサイクロイド軌道運動が観測されるが、これをよりミクロからの視点の自らが運動系の立場に切り替えたときには、正円形のタイヤ全体の姿が観測されるのである。したがって、これはサイクロイド軌道そのものが一瞬にして正円軌道に変化したのではなく、変化したのは観測者の視点のほうなのである。

 

✧ 回転体の座標変換

 ところで、地上の観測者Aに対して、自動車内の観測者をBとすると、Aが自らの座標系におけるBの右方向への運動を観測するのは、Aのよりマクロからの視点であるが、次にAが視点をよりミクロからの視点に切り替える場合には、AはBの自動車に固定された座標系を左方向へ運動していることになる。

 これらを直交座標系を用いて、AはS系の原点Oに固定され、BはS´系の原点O´に固定されているものとすると次のようになる。

{視点の切り替えであるところの二者相互の座標変換においては、SS´それぞれの座標系を同時に二つ重ねて記述することは許されず、両座標系はそれぞれ個別に描かれねばならない。} 

 上記のような、二者相互の座標変換においては、AからみたBのベクトルとBからみたAのベクトルの方向は互いに逆向きになるが、速度の大きさは当然同一である。ならば次に、Aは慣性系であるが、対するBは加速度系であるという場合はどうなるのか。

 

 まずBの自動車が、AのS座標系において右方向へ直線上の等加速度運動を行う場合、逆にBの自動車のS´系からみた質点Aも、同様の等加速度で左方向へ運動してみえるはずである。

 また地上のAからみたBのジェット機が、三次元上の多様な曲線軌道を描いたとしても、Bのジェット機に固定されたS´座標系からみると、質点Aの運動方向はS系における質点Bの方向と常に逆向きになるが、いずれにしても両者の各時刻における速度は同一である。

 一般に、ある運動を記述する際の基準となる座標系は慣性系が用いられるのであるが、加速度系に固定された座標系では、対する慣性系の物体にいわゆる見かけの力が作用する。しかし、いずれにしても運動学的には、両者の座標系における質点の運動は、その方向は真逆に異なるものの、その形態(軌道)は常に同一である。

 

 ところが、慣性系のAからみたBの運動に回転運動がともなう場合は、事情がかなり異なってくる。すなわち、回転しながら進行するタイヤのポイントをbとし、対するAの地上の系をS系とすると、S座標系におけるポイントbの運動はサイクロイド軌道であるが、他方ポイントbは、回転系であるところのタイヤの中心点が原点Oであるような座標系Sに固定されているものとすると、このS系からみた地上のAは、下図のような二次元曲線としての渦巻き軌道を描いて運動してみえるのである。

 上図は、慣性系A(S系)対回転系b()の二者相互の座標変換であるが、この二者の関係においては、観測者AはS系の回転運動を観測することは一切不可能である。

 なぜなら、Aはよりマクロからの視点(自らは座標系の立場)によって、ポイントbのサイクロイド運動は観測できるが、逆にAがよりミクロからの視点(自らは運動系の立場)で渦巻き運動をしているときには、S座標系は当然固定された不動の基準系である。そうすると、そこにはいかなる広がりを有するところの回転運動は見いだせないのである。

 なぜなら、Aはよりマクロからの視点(自らは座標系の立場)によって、ポイントbのサイクロイド運動は観測できるが、逆にAがよりミクロからの視点(自らは運動系の立場)で渦巻き運動をしているときには、S座標系は当然固定された不動の基準系である。そうすると、そこにはいかなる広がりを有するところの回転運動は見いだせないのである。

 この場合、A自身はいかなる力も感じてはいない(勿論重力は感じている)慣性系なのであるから、A自らが渦巻き運動をしていて、対するポイントbが固定され静止した不動のタイヤの中に観測される、などということは実際にはあり得ないわけで、Aがタイヤ全体を観測しているときには、Aは速度vで左方向に直進運動を行っているのである。したがって、よりミクロからの視点におけるA自らの直進運動は、すなわちS´系という観測者Bが乗っている自動車に固定された座標系における運動なのである。

 そして、観測者Aは半ば無意識に、この自動車のS´系を導入しているのであって、その静止している自動車のS´系内においてこそ、正円の形をしたタイヤ全体の姿が観測されるものといえる。

 すなわちこの観測においては、S系内でタイヤが回転せずに固定され静止しているのではなく、自動車が静止していてA自らが運動系の質点として、自動車のS´系を左方向へ直進運動をするという視点の切り替えがなされるのである。そして、この場合確かにA自らは自動車のS´系に対する運動系なのであるが、一方この視点のままで回転するタイヤ全体を観測する際には、自動車のS´系x´軸上のQという物差しを用いているわけで、この座標系におけるポイントbの軌道は正円軌道なのである。

 そうするとS´系の観測者Bは、自らは不動の座標系の立場であるところのよりマクロからの視点において、正円形のタイヤ全体の姿も観測できるし、ポイントbの正円軌道の運動も当然観測することができる。しかしS系のAは、よりマクロからの視点においてポイントbのサイクロイド軌道運動は観測できるが、正円形のタイヤ全体の姿はよりミクロからの視点による自らが運動系である場合にしか観測することはできない。

 なぜなら、S系のAは正円形のタイヤ全体の姿を観測しているとき、自らは速度vで左方向へ運動するところの運動系としてのよりミクロからの視点にあるのであるから、Aは回転するタイヤ全体が速度vで右方向へ運動する姿を観測することは不可能である。

 すなわち、広がりを有する物体の回転の大きさである角速度ωと、質点の速度vは合成することができないのであって、実際の観測においてもタイヤ全体が速度vで運動する姿を地上の観測者は観測することができないし、またタイヤ全体を観測しているときには質点のいかなる運動を観測することはできないのである。

 ということは、S系のAは、ポイントbがよりマクロからの視点において右方向へサイクロイド軌道で運動するのを観測することはできるが、この場合同時にタイヤ全体が右方向へ速度vで運動する姿を観測することはできない。しかし、S系のAがよりミクロからの視点にあるときには、正円形のタイヤ全体の姿を観測することはできるが、このとき同時に正円軌道で運動するポイントbの姿を観測することはできないということになる。

 そうすると、ポイントbは本来S回転系に固定されているのであるから、S系のAがポイントbの運動の観測を、タイヤ全体の観測に切り替えるとき、前者はS系対S系の対応関係であったものが、後者においてはそのS系とS系の中核にS´系が介入してくることになり、すなわちS系のポイントb対S系のAの対応関係が、視点を切り替えたときにはS´系のB対S系のAの対応関係に不可避に切り替わってしまうのである。

 このS系のbとS´系のBとの切り替わりは、観測者Aが行う視点のすり替えとは意味が異なるものであって、いかなる矛盾を引き起こすわけではない。B(自動車)のS´系は、個々のポイントの観測においては一切関わりのない系であって、ポイントbのS系とAのS系との中核に潜在して表には現れてこない。しかし、Aが回転するタイヤ全体を観測しようとする際には、その回転する正円形のタイヤの背後に、静止し固定された座標系としてその姿を現すのである。