第8章【時間と空間の拡張と収縮】

 前章では、「Bの観測した波長1mのフラッシュ光がCなる速度で伝播したQPの距離と、Aの観測した波長75㎝のフラッシュ光がCなる速度で伝播したqpの距離は等しいのであるから、Bの観測においてフラッシュ光がP点に到達したときの時刻と、Aの観測においてフラッシュ光がp点に到達したときの時刻はあくまでも同一のはずである。」と述べた。

 そして、貨物車のBが波長1mのフラッシュ光を観測したときの位置と、大地のAが波長75㎝のフラッシュ光を観測したときの位置は異なるにもかかわらず、両者が観測したときの時刻は同一なのであるから、同時に二ヶ所に存在したそれらの光は、明らかに同一のものとはいえない。すなわち、同時刻に異なる場所で観測された、Bが観測した波長1m(振動数3億サイク)の光と、Aが観測した波長75㎝(振動数億サイクル)の光は、それぞれ区別される別のものでなければならない。

 

✧個別の光媒質

 ところで、上図のようにその光源は同一のものでありながら、そこから発射されたフラッシュ光が、系の異なるABの二者で個別に観測されるというような波動現象は、次のような設定によるならば音波の場合にも起こり得る。

 すなわち、すべての車窓が閉ざされた密封状態の一両の電車があるものとして、下図のように後端部の壁面には、その音が電車の外側でも充分に聞こえるように設計されたスピーカー(音源)が取り付けられており、このスピーカーからは断続的に波長1m(振動数340サイクル)の音波が出ているものとする。

 そこで、電車(及び音源)が大地に静止している場合には、そこにはいかなるドップラー効果は現れず、したがって大地のAと電車内のB二者が観測する音波の波長はまったく同一の1mである。しかし、たとえば電車が音速μ(秒速340m)の1/3倍である、秒速約113m(v)で運動するという場合には、電車内のBは相変わらず波長1mの音波を観測するが、大地のAが観測する音波の波長はドップラー効果により75㎝(振動数約453サイクル)となる。

 すなわち、電車内においては、電車がどのような運動を行っても、その媒質上(電車内の空気)における音源は常に不動であり、そこにはいかなるドップラー現象は現れない。しかし、大地のAによれば、音源は媒質(大気)の中を秒速約113()で進行しているのであるから、その波紋は進行方向へ詰まるように収縮し、そこにドップラー効果が現れる。

 そしてこの場合の、電車内の空気を伝播した1mの波長の音波の速度は、電車内のBの観測では不変にμであるが、大地のAの推測によれば μ+vであり、また電車外の大気中を伝播した75㎝の波長の音波の速度は、大地のAの観測によればμであるが、電車内のBの推測によれば μ-vである。したがって、いずれにしても、波長1mの音波と波長75㎝の音波は、同一の音源から発せられたものであるにもかかわらず、これらは個々に区別される別のものであるということができる。

 そうすると、光の場合にもこれとまったく同様なことが起きているとするならば、たとえばBの固定されている貨物車座標系には、この座標系専用の光を伝える媒質が備わっており、またAの固定されている大地座標系には、この座標系専用の光媒質が備わっているものと考えることができる。つまり、もともと光には、これを伝播する絶対座標系としての普遍的な光媒質(エーテル)といったものは存在しないのであるが、観測者それぞれの座標系には、その座標系専用の個別の媒質が存在しているのと、まったく同様な状況になっているのである。

 すなわち、Bが観測した波長1mのフラッシュ光と、Aが観測した波長75㎝のフラッシュ光は、いずれも同一の光源から発射されたものではあるが、波長1mのフラッシュ光は貨物車のQPの空間を光速度Cで伝播し、波長75㎝のフラッシュ光は大地のqpの空間を光速度Cで伝播したのであるから、ABの二者が観測したフラッシュ光は、それぞれ系の異なる別の空間を伝播したことになる。ということは、その同一の光源から発射されたフラッシュ光は、それぞれに独立している個別の媒質を伝播したのと同じことなのであって、この場合にその波源(光源)はいかに同一のものであっても、その波動(フラッシュ光)を伝播させるところの媒質(空間)が異なるのであれば、そこには位相の異なる波動が個別に現れてくるのは当然である。

 もとより、光や音波自体は、その振動のエネルギーや位相だけが伝播されるところの波動であって、これらは通常の質量を有する物体(質点)の運動(変位)とはまったく異なるのである。したがって、一つの波源が異なる二つの媒質(空間)それぞれに振動を与えれば、その波動は各媒質においてそれぞれに位相の異なる個別のものとして伝播していることになり、これはある一つの波動を、系の異なるABの二者がそれぞれに観測したのではなく、位相の異なる個別の波動を、AはAの空間で、BはBの空間で観測したのである。

 ちなみに、光電効果によって金属面から飛び出してきた電子が、観測者の系の違いによって、それぞれ別個に存在するなどということはあり得ない。あるいは、飛び出た一つの電子が、あたかも分身の術を使うかのごとくに、同時に二ヶ所に出現するなどということも起こり得ない。なぜならこの場合の電子とは、質量を有する力学的な一物体なのであって、これは光や音波のように一つの波源から発生して、それぞれの空間(媒質)に、個別に伝播していく類のものではないからである。

 ならばそこで、ABの二者が観測したフラッシュ光が、金属内から飛び出した一個の電子と同様に、あくまでも同一不二のものであるとした場合(ないしは同一のフラッシュ光であるものと仮定して考えた場合)、その二者が観測した光の波長と振動数の違い、及び同時刻における位置の違いはどのように解釈されるであろうか。

 端的に結論から述べると、これはABの観測したフラッシュ光が同一であるにもかかわらず、その波長と振動数が異なって観測されるのであるから、この場合に異なっているのはそれを観測するBの持っている物差しとAの持っている物差しの長さ、及びBの持っている時計とAの持っている時計の進み方のほうであると考えることができる。

 

たとえば、貨物車の後端Qに設置された光源から発射されたフラッシュ光の波長は、地上のAによれば75㎝であるが貨物車のBの観測によれば1mである。

 この場合に、ABの二者が観測する光は同一のものでありながら、その波長は異なって観測されるのであるから、Bにとっての1mの長さそのものがAにとっては75㎝として観測され、逆にAにとっての75㎝の長さそのものがBにとっては1mとして観測されているということになり、両者における長さの密度、ないしは両者がそれぞれに有している物差しの密度は相対的に異なっていることになる。


 再度換言して述べると、AとBはいずれにしても同一の光を観測しているのであるが、Aが観測する光の波長は75㎝でありBの観測する光の波長はmである。ということは、その同一のフラッシュ光そのものが、波長が75㎝でもあればmでもあるといった二重の性格を持つのではなく、それを観測するAB二者の持つ物差しのほうこそが、異なった長さに変化しているものと考え得るのである。

 すなわち、両者がそれぞれに観測した波長の比は1m/75㎝=4/3であるから、Bの観測における1mを不変な基準としたときのAの物差しは、相対的に4/3倍で拡張していることになり、Aの系における1mという長さは、Bの系における1mという長さよりも、4対3の割合で拡張していることになる。そして、Bの系ではその波長が1mであるのに、Aの系ではなぜ75㎝として観測されるのかと言えば、それはAの系の空間そのものが、Bの系の空間そのものよりも4/3倍で拡張しているからなのである。

 同様に、Aの観測における75㎝を不変な基準としたときのBの物差しは、相対的に3/4倍に収縮していることになり、Bの系における75㎝という長さはAの系における75㎝という長さよりも、3対4の割合で収縮していることになる。そして、Aの系ではその波長が75㎝であるのに、Bの系ではなぜ1mとして観測されるのかと言えば、それはBの系の空間そのものが、Aの系の空間そのものよりも3/4倍で収縮しているからなのである。


 そうすると、下図のようにBの観測する1mの波長の光を不変な基準とするとき、Aの大地のqpの長さは相対的に4/3倍で拡張していることになるが、この場合にフラッシュ光が発射されたとき、その時刻における貨物座標系の点と大地座標系のq点は同位置にあり、両者がそのフラッシュ光を観測した次の時刻には、貨物座標系のP点と大地座標系のp点も同位置にある。したがって、Bの貨物車はAの大地を速度vで運動しているにもかかわらず、その波長1mの光の速さは大地のAからみても貨物車のBからみても同一の光速度Cとなる。

 同様に、Aの観測する75㎝の長さの光を不変な基準とするとき、Bの貨物車のPの長さは相対的に3/4倍で収縮していることになるが、この場合もフラッシュ光が発射されたとき、点とq点は同位置にあり、また両者がそのフラッシュ光を観測した次の時刻にも、P点とp点は同位置にある。

 ということは、Bの貨物車はAの大地を速度vで運動しているにもかかわらず、その波長75㎝の光の速さは、大地のAからみても貨物車のBからみても同一の光速度Cであるということになる。したがって、Bの系を不変な基準としてAの系の拡張を考える場合も、Aの系を不変な基準としてBの系の収縮を考える場合も、いずれにしてもこの場合のフラッシュ光の速度はBからみてもAからみても同一の光速度Cなのである。

 

 次に、AB二者の系における時間密度の違いであるが、波長1mの光が光速度Cで伝播されるときの振動数は1秒間に3億回であり、その1回の振動に要した時間TBは3億分の1秒(3,33・・・10)である。また、波長75㎝の光が光速度Cで伝播されるときの振動数は1秒間に4億回であり、その1回の振動に要した時間TAは4億分の1秒(2,5×10)となる。したがって、貨物車のBと大地のAは、いずれにしても同一の光を観測したにもかかわらず、その1回の振動に要する時間は異なっていることになり、この場合に時間TBと時間TAの比は 

                       TB/TA3,33・・・/2,5=4/3

であるから、時間TB時間TAよりも3/4倍で短く、逆に時間TAは時間TBよりも4/3倍で長くなっている。

 そこで、AB二者の系における空間の相対的関係もあわせて考えると、両者における時空間は、貨物車のBよりも大地のAの方が相対的に4/3倍で拡張し、逆に大地のAよりも貨物車のBの方が、相対的に3/4倍で収縮しているものといえる。

 また、これらを密度的な違いで述べるならば、Aの時空間密度はBの時空間密度よりも3/4倍(0,75)で薄くなっていることになり、逆にBの時空間密度はAの時空間密度よりも4/3倍(1,33)で濃くなっていることになる。

 そして、Aの時空間密度がBの時空間密度よりも3/4倍で薄くなっているということは、Aの系における時間の進み方はBの系よりも3/4倍でより遅くなっているということであり、逆に、Bの時空間密度がAの時空間密度よりも4/3倍で濃くなっているということは、Bの系における時間の進み方はAの系よりも4/3倍でより早くなっているということになる。

 しかし、先にも述べたように、上記のような時空間密度の相対性は、観測されるフラッシュ光があくまでも同一であるものと見なしたときに、その同一のフラッシュ光の速度が、系の異なるAからみてもBからみてもいかにして同じ光速度Cであるのかを説明する際に述べられるものであって、たとえば貨物車が秒速10万㎞で運動するときその長さが3/4倍に縮む、などということが現実に起こるわけではない。

 つまり、この場合の時空間の相対性とは、ABの二者が観測したフラッシュ光が、あくまでも同一のものであると仮定した場合の、両者における時間と空間の密度的な違いを述べるだけのものであって、もとより、大地のAが観測したドップラー効果によって波長の変化したフラッシュ光と、貨物車のBが観測したいかなるドップラー効果の現れないフラッシュ光は決して同一のものとはいえず、そもそも、貨物車の点に設置された光源からBの位置するP点に照射されたフラッシュ光を、大地のAが観測すること自体があり得ない。したがって、この場合にAB二者の系における時空間の密度的な違いは一切現れないのである。

 ところが、この時間と空間の相対的な密度の違いは、後に述べる電子に関しては、いわゆるローレンツ因子において実際に現れてくることになり(詳細は第14章で述べられる)、高速度で運動する電子の時間の進み方が現実に遅れているなどの現象が現れてくるのである。そしてさらに、次に述べる重力場や、あるいは電場などのいわゆる場の力についても、その時空間の拡張と収縮といった相対的な違いが、実際に加速度的なかたちで現れているからこそ、そのような物理現象が生じているともいい得るのである。